両親と弟、妹、祖父母、と暮らす女の子、
幼いころからスイーツが大好きだった。
小学校高学年ごろには、簡単なお菓子作りの本を見ながら
自分でガトーショコラ、チーズケーキを作ることができた。
食べてくれる人がみんな美味しい!と笑顔になってくれた。
私の母親は、ケーキ作りをしない。影響を受けたのは
幼馴染のお母さん。お菓子作りもそうだったが、
何でも手作りをしてくれるお母さん。
当時から憧れがあったのか、理想に近かったのか
私の中で、夢として、結婚して子供ができたらおやつを
作ってあげるんだ!と当たりまえのように思っていた。
まさか、その夢が叶わない、
大好きなスイーツを食べられない、
子供に食べさせてあげられない。
作ってあげることができない「母親」になるなんて
作ってあげるんだ!と当たりまえになっていたぶん
悲しみは大きく、理想がはっきりしていたぶん
ダメな母親というような自責ばかりの子育てに
なろうとは思ってもみなかった。
過去を振り返り、初めてのお菓子作りがガトーショコラ、
今私の作るお菓子の中でも、まずはガトーショコラを食べて欲しい
そう思えるほど自信もある。
お菓子を子供に作ること、食べさせたいと夢のきっかけになった。
なのにできなくなった。でも諦めなかった。
卵・乳・小麦のアレルギーを持ち、
子供と一緒に、母親でもある私自身も除去し
食べるものが限られ、食を通して笑顔になれず
カフェでママ友とスイーツを
一緒に楽しむこともできなかった。
なんで私の子供だけ、なんで私だけ。
「孤独な子育て」を経験した。
諦めなかったのは、もちろん子供のため。
同じぐらいに毎日が辛く、孤独で自責する
私のためだったのかもしれない。
初めての出産は今から約15年前。
当時私は22歳。
こんな私がお母さんになれるのかという不安もあったけど、
楽しみで仕方なかった。
当時新型インフルエンザが騒がれていて
常に不安な気持ちを抱えたマタニティライフだった。
新型コロナウイルスが流行る中での妊娠、
出産を不安に思うお母さんと同じ感覚だ。
妊娠中は、何も気にせず食べていた。
疲れが溜まってくると、
甘いスイーツをよく食べていた。
コンビニのシュークリームとか(笑)
無事出産でき、
勤めている会社で育休をとった。
初めての育児で手一杯のなか、
すくすくと育つ我が子に毎日幸せだった。
同じくらいに、初めての育児で不安も大きかった。
生後3・4か月の時だった。
顔に赤い湿疹がポツポツと出てきた。
先輩ママに聞いてみた。ネットでもたくさん調べて
「乳児湿疹かな?治るよねそのうち」と軽い気持ちだった。
病院に行くがこの「乳児湿疹」が治らない。
どんどん酷くなっていく。
かわいい頬が赤くなっていく。
たくさん病院を変えた。
分かったのが卵・乳・小麦のアレルギーだった。
母乳で育てていたので、私自身も卵・乳・小麦を取らない。
病院に見せるために私の食べたものは、
全て細かくノートに記録する。
週に一度、福岡の病院に子どもと通う。
初めての育児、全てが初めてだらけ。
母乳も、睡眠不足も、産後の精神状態も
自分じゃない「母親になった自分」は必ずしも
ポジティブだけでは収まらない。
それなのに卵・乳・小麦を取らない生活を頑張っている。
空いた時間にノートに記録もしているのに、
担当医の先生が向けた言葉を今でも忘れられない。
「なんでこれを食べたの?子供が痒い思いをしているのはお母さん、
あなたが食べたこれのせいですよ。」
ステロイドの塗り薬を塗れば、次の日にはサーっとひいた。
喜びもあったが、怖さのほうが大きかった。
ステロイドの塗り薬、担当医の言葉、初めての育児。
ノイローゼになりそうだ。
息子の症状がひどい生後6カ月の時期、夜中も痒くてかいては傷つき、
朝起きると血だらけの顔。症状の上がり下がりに一喜一憂の
毎日だった。
ある夜、私は顔中をかいている息子に、
「かかんで!」と小さな息子の両腕をがっちり握り
腕の動きを止めていた。今になって主人が話したことがある。
あの時のおまえは追い詰められていた。。と。
主人は長男を大事にしてくれた。休みの日やあいた時間は
散歩に連れていってくれたし、遊んでくれた。協力的だった。
でも性格もあってか、ふさぎ込み育児を楽しめず、
周りの母子と比べては「なんでうちだけ、育児むいてないな。」と
自責するばかりだった。