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生後6・7カ月ごろは特に症状がひどかった。
それでもステロイドの塗り薬には抵抗があり、
割り切って上手に付き合うことが出来ない。
そんな時、知人からあるクリニックを紹介してもらった。
そのクリニックは自然療法を中心に診察してくれた。
何より、担当医の先生が息子と私をみて
「大丈夫、治るよ」と言ってくれた時
病院ということを忘れて、泣いた。
家族や主人に話、中には大丈夫?信頼できる?
そのような声もあったが、信じる以外考えられなかった。
症状を抑えるのではなく、
出し切るような治療がスタートした。
当時の息子の写真を今でも見るのは辛い。
掻いては繰り返し傷つき固くなっていく皮膚。
顔以外にも症状が出ていた。
生後6・7カ月ごろ、結婚式の準備をしていた。
良い想い出はない。
卵・乳・小麦の除去生活、食べるものが限られ
育児に悩み疲れ、体重が激減しやつれていたし、
何より息子の顔は真っ赤にただれたようになっている。
そんな中での結婚式に喜ぶ「母親」はいないだろう。
クリニックと先生、自分を信じ治療を続け
息子が1歳になるころには、症状が治まった。
綺麗な肌に回復し、現在も痕も残っていない。
ただ、だからと言っててすぐに食事を解放できたわけではない。
年々少しずつ食べられるものが増えていったけど
症状が出る可能性があったので
息子の卵・乳・小麦の除去生活は卒園まで続く。
それでも、見てわかる辛い症状が、薬を頼らず
回復していき、それまでずっと苦しめていた自分の気持ちが
少しだけ軽くなれた。
豆乳、米粉、きび砂糖、アルミフリーベーキングパウダー。安全な材料で
初めて息子にケーキを作ることができた。
食べれる、一緒に。
何でもいいよというわけにはいかないけど、
私の作ったケーキを食べてくれた。
当時は毎日が必死の精神状態。
今振り返っても、人生の辛い時期といえばこの時期。
アレルギーをもった子供じゃなくても、
初めての育児は辛い。
ある日突然子供が誕生し「母親」になる。
母親になった、と完了することはないだろう。
常に子供たちとともに「母親になっている」という現在進行形だ。
辛くとも、孤独でも、そうでなくてもそれが母と子の日常でもある。
その日常の中に「食」がある。
何を食べてもいいよ、選んでもいいよ。
メニューの中に選択肢がたくさん、
それが当然のように在るといいな。
そうしていきたいな。。。。と漠然と抱き始めていた。